生態心理学/「愛の状態から離れるたびに…」 「愛の状態から離れるたびに…」「愛の状態から離れるたびに、否定的なカルマが蓄積する」——神は、何年も前に一度、私にそう語った。この言葉を、「神は愛である」に続く第二の項目として挙げることができる。 しかし、これはどういうことなのだろうか。脅しなのだろうか。神は私を罰するのだろうか。私に重い病気をもたらすのだろうか。それとも、次の転生で苦しむよう、私に運命づけるのだろうか。いや、そのような問題の捉え方は正しくない。 神は誰かを罰するのではなく、私たちに教えを与えるのである。そして、私たち自身の行いや選択が、自らの運命を形作っていく。 例えば、私たちが愛を持たずに生きていれば、神と出会うという幸福にたどり着くことができず、神から離れていることによる苦しみが続く。また、さまざまな災いも、神が私たちを罰するために起こすのではない。私たち自身の行いや心のあり方が、そのような災いを招くのである。 私自身の人生から、具体的な例をいくつか挙げよう。 ある日、私はデイヴィッド・カッパーフィールドについて書いた自分の本が、不法に出版されているのを目にした。私の許可を得ていないだけでなく、所定の対価も支払われておらず、しかも内容まで改変されていたのである。本文の途中には、ばかげた図式が挿入され、あろうことか、私の名前まで著者として記されていた。* これで、ついに私も我慢の限界に達した。私は愛の状態から離れ、悪質な出版社と争う覚悟を決めた。 その日の夕方、私は食道に炎症を起こし、痙攣がひどく、唾液さえ飲み込めなくなった。 翌朝、私は、大きな黒い霊が自分の喉を手でつかみ、首を絞めようとしているのが見えた。その霊は私に取りつき、離れようとしなかった。そこで私は、創造主の住まいに入り、再び愛の状態に戻った。そして、すぐに次の言葉を思い出した。「愛の状態から離れるたびに……」すると、その霊は消え、食道の炎症もほとんど瞬時に治まった。 この場合、次のような仕組みが働いている。私たちが精妙な意識の状態を保っているとき、粗雑な霊たちは私たちに近づくことができない。彼らは、精妙な意識の領域に入ることができないからである。しかし、私たちが愛に満ちた繊細な感情を失い、粗い感情にとらわれると、彼らの状態に近づいてしまう。その結果、彼らから攻撃を受けやすくなるのである。
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